千葉の山奥でホストに囲まれる

その他

メルマガ出せずにこんな時間になってしまった。
これには理由があって、

千葉の山奥で監禁、
もとい研修を受けてきた。

タダの研修ではない、
ダメホストをTOPホストに生まれ変わらせる
奇跡の研修らしいのだ。

ホストのオニーちゃんたちに囲まれて
37歳のオッサンが一人はじける。
そういう異様な研修だ。

集合場所まで歩いていく予定が
なんと今回のこの研修を手伝っているとかで
なんとわざわざ東京駅から
久保さんと大坪さんに送ってもらった。ありがとう

しかし、現場に到着するや
研修開始前から茶髪率80%
ホスト率90%

ほぼ10代〜20代前半

一日目に、サンクチュアリに出てくる
巨漢ヤクザ色黒のハゲたオッサンが出てきた

周りの人が一斉に頭を下げる

「塾長!」

ほんま、
これはアカンところに来たと。
民明書房刊に載ってるんちゃうか?と

江田島平八が暗黒面に落ちた感じの
弟の悪島平七みたいな(そんなのいないけど)
そんなキャラが塾長。

「おまえらな、ここまで
自分の足で歩いてきたんやろ
それはな、自分で決断したっちゅうことや」

すいません、大坪さんの車です。
以降ずっとこんなかんじのズレを抱えたまま、
最終日まで

・笑いあり
・涙あり
・青春あり

で体力の限界まで突っ走る
そんな研修でした。

どうして端折ったかというと、
「研修の内容は誰にも喋ってはいけない」

というルールがあるからだ。

このメルマガなら、大丈夫だろう、、、そう思ったが、
昨日、タイに居るにもかかわらず
早速電話で「チェックしてますよ」と
電話が入ってきた。

しかし、このメルマガを読んでいるチミに、
どうしても伝えたい。

そこで学んだこと、気づいた事だけを
お伝えしようと思う。

食事
・あんかけごはん
・シチューかけごはん
・納豆と味噌汁
といった質素な内容。

環境
・部屋は学生寮のように汚い
・部屋にはクーラーはない、扇風機が命綱
・汗だくで寝れないのに、しんどすぎて眠ってしまう

1日目
・思いや、心の中は、言葉に乗せることが出来る
・むしろ自分の言葉や声はソレを伝えている。
・技術的に「心」を言葉で伝えることは可能
・号泣した。

2日目
・感情は行動の後押しになるし、行動の改善には簡単
・感情を利用して目標を立てることが出来る事を知った。
・今日も泣いた、鼻水も出た

3日目
・研修の中だけでなく、外でも活用できるか?
・現実で使ってみると、ほとんど使えないことがわかった
・気合と根性よりも、相手に怖がられないことが大事
そのためには、笑顔
・それでも号泣した

4日目
・楽しんだもの勝ち
・泥臭くても、それでいいじゃないか
・声も出ないのに叫んで笑っっている
・全てのことに感謝し「生かされている」と感じた

ええ、そうですよ、そうですとも

4日間で見事に洗脳され
シャキーンと返事できるようになりました。
行動もキビキビと、それより何より

何にでも、どんな出来事にも
「ありがとう」と感謝の言葉をかけ
毎日が仕事が楽しくなっている。

たった4日間で人は変わる

周りのホストやダメ社員もみんな
人が変わったようになっていた

誰かを教育すること、行動を変えていくこと
それはトレーナー側が心を伝えることで変わっていく

心を伝えるために
「感情」や「自分の経験」を活用する

例えば、私ならこんな形で伝えることになる。

ーーーーーーーーーーーー

僕は今、何かを伝える立場にいるけれど、
偉そうに君に話をしているけれど

逃げて、逃げまわってきた
情けない人間です。

父は病気だった、
パーキンソン病だ

僕が小学校低学年頃に、
病気が発覚し
母は「目の前が真っ暗になった」と
当時を話す。

父は家族のために朝6時から深夜12時まで
一生懸命はたらき。

そのおかげで僕は何不自由なく育ててもらった

大好きな父の病気を治したくて、
医者になろうと、思っていた

塾に行き、学校でも成績が良かったので
私立中学に受験し受かるだろうと思っていた。

中学受験に落ちた。

本気じゃなかった、
甘えていた、父親の事を心配していても
どこかでタカをくくっていた

勉強せずに遊んでいた。
努力することから逃げていた。

それなのに父は優しかった
かわいがってもらった

公立の中学に行き、
バスケの朝練で父と一緒の時間に
家を出ることになった

駅まで僕は徒歩で、
父はバスで。

途中でお互い反対方向に向かうとき
「じゃぁ」といって僕は歩き出し

20歩ほど歩いて振り返った時、
父は足を怪我してるかのように歩いていた。

まだ朝焼けの薄暗い道を
ペーキンソン病で動かない身体を
引きずって歩く
その背中を見て

僕は泣いた。

父を直すんだという思いも中途半端で
なんとなく、何不自由ない暮らしを

父はその背中で支えていた。

高校では技術系に行き
すぐに働けるうよにって
福井高専にいった。

寮に入って5年間で一流の技術者になって
父と働くんだ、安心させるんだと、

思ったのもすぐに折れた

生意気な僕は、
先輩に目をつけられ
毎晩呼び出され、
朝まで殴られ続けた。

授業は頭に入らず、
口の中が切れて食事も入らず
怖くて毎晩震えていた

生意気で偉そうなことを言って
スグに一人前になるんだと、

その結果が、落第寸前の成績
カッコ悪いのと、言い出せないのと、
どうにも出来ない自分がいて、

また逃げた。
高専を辞めた

逃げ続けた、
大した才能もないのに絵を描くと言って
道路工事の交通整理でアルバイトしたり
電気屋さんのパソコン教室でアルバイトしたり

そんな時にも、父は優しかった。
たまに家に顔を出すと、病状が進んでいて
字は書きずらくなっていた。

それでも父は

「お前がパソコンで作ってくれた、
音楽がすきで、憶えるもの大変だけど
なんとかパソコンで仕事ができるよ
ありがとう」

そう言ってくれた。
まだ働いていた、

後で聞いた話だが、父は会社で
多くの人に助けられていた。

「これまで山本さんにはたすけられたので
恩返しがしたい」

そう言って、多くの部下や、
周りの人たちが父をずっと支えていた。

それなのに僕は、
弱い自分、なにも答えられない自分から
目を背けたくて
家に近寄らなくなった。

ベンチャー企業の立ち上げや、
パソンコン教室の講師をしながら
WEBデザインの仕事を請けるようになった。

それでも家賃と光熱費、食費を払うと、
なにも残らなかった。

そんな生活から抜け出したくて、
京都の会社に就職した。

ワンルームの社宅で、
ここで何とかするんだと、

はじめは店内のPOPデザインや
新聞広告やチラシを作った。

ある日新聞広告を作っていると、
作ったものを目の前で破かれゴミ箱に捨てられた

「おまえのやってる事はオナニーや
俺の言うとおりに作ってみい!」

逃げ続けてきた自分なのにムダに
プライドだけはあった。

何が悪いんですか、

「うるさい、貧乏人が判断するな」

そう言われて、
もうあきらめて、また逃げ出そうと思った。

悔しい、悔しかったから
言われるまま、完璧に作ってやろうと思った。
完璧に作って、売れなかった責任を取らせようと思った。
ほら見たことか!と自分の正しさを証明しようと、

完璧に作った。

その結果、、、、売れた。

自分の無駄なプライドが崩れるのと同時に
きれいなだけのデザインから、
売れるデザインがあることを知った。

それからは、完璧に作った、
売れるものは何かって、自分で学びだした。

外注されてたネットショップの作成や運営も
社長や、経理の人に話し、自分でやることにした。

外注費のうちの少しだけでも自分の給与にしたかったから。
少しでも早く一人前になりたかった。

少しでも誇らしい自分になって、父に会いたかった。

海外の資料をあたり、
クリック数を減らすことで、
売上が大きく上がることがわかった。
SEOで検索順位を1にした。
やりすぎて、楽天を退店になりそうにもなった。

会社に泊まり込み、没頭した
一週間に、3日も4日も

他のネットショップの店長に話を聞きに出かけて行っては
ノウハウを学び、スグに実装して
ライバル店に盗まれるようになったので
文字コードを暗号化して防いだり

社長にビビりながら、
商品撮影中に疲れて寝てしまったり
値段を間違えて大失敗したり、

正月休みもどこにも行かず、
月商1000万円に届かせたくて
セールやキャンペーンを繰り返し、

大晦日の夜に、売上でないかと
再読み込みボタンを何度も押したり

外で布団を干したまま
忘れて何日も徹夜したせいで、
布団が雨に濡れて使えなくなったり、

それも逃げていた、
ずっと帰ることも出来なくて、
仕事に没頭してただけだった。

僕は何にも変わっていなかった。
けれど、誇れる人生では無いし。

でも、これだけやったんだ、
これだけ出来たんだって、
父に見せたかった。

数年間ずっとそうして仕事してきた。

だけど今、
どんな大手企業だろうが、
どんな最先端のノウハウだろうが、
どんな実績をもっていようが、

自分に自信を持って言える
もっと売上をあげることは出来ると、

それは、この逃げ続けながら
ビビりながら繰り返し続けてきた仕事が
テストし、徹夜し、できることを

向き合えない自分から逃げ続けたけど
やるしか無かった自分が、
逃げた先で、逃げなかった過去の自分が

今の私に力をくれる。

ーーーーーーーーーーーー

チミは、心や感情を使える
そんなことが出来るだろうか?

お客さまに、思いを使えることが出来るだろうか?

私は冷静な自分で、ロジカルな自分がいいと思っていた。
けれど、今、心を伝えるために
「感情」や「自分の経験」を活用している、
嫌悪感を憶える人もいるだろう。

「商売に活用するなんて」と

だけど、商売もきっとお客さまに喜んでもらいたくて
やっているはずだと思う。

心を通わせるのと、
数字だけ追いかけるのと

どっちが売れると思う?

PS:
昨年父は他界しました。
今日初盆です。

今の僕は、父に誇れる自分だろうか?

いや、まだまだ足りないし
何も叶えられず、なにも結局力になれ無かった

だから、
「ありがとう」だけ伝えようと思います。

そして、私も父のように、
沢山の人を応援し、応援される人間でいようと
この仕事を通して、

生まれ、愛し、育ててくれた父からの
一生返せない恩を、

父ではなく、これを読んでいるあなたに
恩返しできたらと思っている。

8月は「ヒット商品の作り方」の
ワークショップであなたの力になりたい

https://orecon.co.jp//np/tracking.php/vmpM0m.i8yg4g.html

ヤマタクと

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